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2010年11月03日

赦すことと赦されること。スパイダーマン3に学ぶ

どうも。チャモロウです。

先日、とある本(さる有名なメルマガを本にまとめたやつです。)を読んで、その中の一説に次のような文言がありました。

「与える者は与えられる」

世の中の人は誰しも、自分がしてほしい、してもらいたい、と与えられることばかり望んで、そうしてくれないと、他者を僻んだり、妬んだりする、と。
そういう人はいつも愚痴をいっていて、
「○○してくれない」「△△してくれない」と言う。それを「くれない族」というそうですが、そういった人は決して運は開かれないと。

人を幸福にするために、与えることを行う人は、自分も自然と与えられるようになる、と書いてありました。打算的に与えるのは×です。人を幸せにするためによかれと思って与えることが大事なのでしょう。

ほーう、と思いました。

また、こういう話も。

とある鉄道会社で働いている社長がある日、旧知の鉄道作業員と会います。
作業員が「お前も偉くなったものだな、昔は一日50ドルの為にお互い必死にあくせく働いていたのに」というと、社長は「そうなのか、俺は昔も今も変わらずに、会社の為に、また鉄道を利用するお客さんが快適に過ごせるようにするために、必死で働いているんだが。」

なるほど。
「くれない」型の思考をする人は前者で、人の幸福を考えて「与える」型の考え方をする人が後者なのでしょう。
でも、前者の「くれない」型の思考からぬけだすことってなかなか難しいと思います。


これと似たような教訓として、

「赦すものは赦される」

ということも、言えるかな、と。これは常々私が考えていることですが、人を赦そうとしない人は自分も決して赦してもらえない。逆に人を赦すということを知っている人は、いつかどこかで、自分も赦してもらえる、ということなのですが…。

現実には非常に難しい問題をはらんでいますよね。
たとえば、殺人なんてその最たるものです。
殺された側の遺族にしてみると、絶対に加害者を赦す気持ちにはなれない。
そういうことは次元が違う、と。

映画『スパイダーマン3』のテーマはまさに「赦し」です。

自分を育ててくれた愛する人を殺された主人公ピーターは、激情にかられその殺人犯(サンドマン)と戦うのですが、最終的にそいつを赦します。
というのも、親友でありながら、自分を父の敵として命を狙ってきた友人(ニューゴブリン)が、最終的に身を呈してピーターを守ってくれ、今際の際に父殺しの自分を「赦し」てくれたからです。

赦し、赦される。
赦されたから、自分も赦す。

そこには、人間関係の究極の本質でもあり、理想でもある姿が描かれているような気がします。

というのも巷の漫画や映画なんかでも「お前だけは絶対に許さないッ!!」なんて言葉が、さもカッコいい言葉のように扱われ、激情に駆られた主人公によって悪者が倒されるなんて王道があまりにも多い気がするのです。
(まぁ、少年漫画なんかにおいては主人公がそれをきっかけとして覚醒し、大いなる力を開花させ、敵をド派手にブッ倒す方がスカッとして、見ている少年たちも憧れを抱くようになるのでしょうが。)

「赦し」をテーマに据えた小説として、私が推すのは三浦綾子の『氷点』です。大学生の頃に読んだのですが、自分の娘を殺した殺人犯の娘を、養女として育てることはできるか、という内容です(実は…まぁ、是非一読を)。

三浦綾子さんは『塩狩峠』や『裁きの家』なども書いていらっしゃる。(宗教色が強いなぁ、というイメージがありますけど。)

でも、この「赦し」というテーマ、本当にとても難しい。
もし自分にとって大切な人(恋人、肉親、娘息子)が奪われた時、『赦す』なんてことができるのか。
復讐の狂気に駆られて、法を犯してでも相手を殺したい、と思うのが人間の心情であり、私も絶対に赦せない、と思うのです。

しかし、元来、日本は仇討として復讐を称賛し美化する風土にある国でした。今ももてはやされる『忠臣蔵』なんてのはまさにその代表例でしょう。また、鎌倉時代の源実朝も然りです。
456年「眉輪王の変」に見られる最古の仇討に始まり(おそらくそれ以前もあったと思われます)、1873年に至る「敵討制度禁止令」に至るまで、歴史の表裏の舞台で長きにわたり続いてきたことなのです。

かといって正当化できるものでもない。
ただいえるのは、赦さないものは赦されない、という真実だけなのかもしれませんね。
それを承知したうえで、赦さないというのであれば、それもまた一つの生き方であると思うのであります。



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2010年11月02日

長言する客人

ども。チャモロウです。

皆さんは、枕草子にこのような言葉があるのをご存知ですか?

「にくきもの。急ぐことある折に来て、長言(ながごと)する客人(まろうど)」
口語訳すると、「にくいもの、急いでいる時に(よりによって)やって来て、長話をするお客」という感じですね。

いや〜、我々同様、日常の瑣事について思うことを、清少納言がすでに書いていることには驚かされます。しかも、今から1000年も前に。

1000年前の人間も同じ感情を抱き、不意の来客に対し、このように思っていたのか〜と思うとなんだか笑えてきます。

先日夕刻に、アポなしで突如訪ねてきた来客があって、そういったときに応対することも仕事の一つですから、話を聞いたのですが、その話が長い長い。
40分話を聞かされて、辟易した思いがあります。
通勤途上にあるので、またお伺いします、みたいなことを去り際に言われたのですが、正直、もう来なくていーですって感じでしたよ。
しかも、そういう客ってこちらが急いでいるときに限ってやってくるんですよね。

突然訪ねてきて、こちらの都合などお構いなしに一方的に話を続けるこう言う来客って、どうなんでしょうねぇ。

もちろん、営業としてあちこちを回るため、いちいちアポを取っていたら大変だ、ということもわかりますが、それは尋ねる側の論理であって、尋ねられる側への配慮はまったくされていない訳で。

アポを取っていたら、その都度、そこで断られる、とかあるのかもしれませんが。
私いろいろ外を回る時がありますが、アポをとるようにはしております。

アポがあるならば、時間を空けておくので、多少話が長くても分かります。
しかし、アポなしで訪ねる場合、どうでしょう。訪ねられる側は不意の訪問に急きょ時間を割いて対応しているわけで、その客の為に無限に時間が割けるわけではありません。むしろ、自分の時間を割いてその人のために時間を割いているのですから、せめて訪ねる側は「お時間よろしいでしょうか?」と了解を取るのが普通かと。

すっかり愚痴っぽくなってしまいましたが、どうでしょうか、皆さん。
私って心が狭いのでしょうかね?

しかし、
清少納言でさえ、これについては不満に思っているようですし、皆さんもそうではありませんか?

「にくきもの、急ぐことある折に来て、長言する客人」

私はものすごーく共感を覚えます。



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2010年09月07日

いろいろとしんどいどきに。

どうも。チャモロウです。

生きていれば、現実逃避をしたくなることって、誰でもあると思います。

今日はそんな話です。
ゲームネタはないので。

それでも良い方は、どうぞ。

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posted by チャモロウ at 23:30| Comment(4) | TrackBack(0) | チャモロウの処世術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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